颯爽と手紙を渡して完了すると思っていたが
違った。
経緯↓↓
担任が渡したのであろう。
手紙を読んだ園長が出てきた。
別室に呼ばれ、園長と担任の3人の時間が設けられた。
担任は園長の横で終始何も話さず
ただ、園長の横に座っていた。忠実な部下だと思った。
そうか。
きっとまず、全体に担任が娘の様子を話して、
発達の先生に診てもらう事は、園長の助言が大きいんだろうなと気づく。
手紙の中で、私達が誤解している事がある事、まずはそこの訂正と、また再度、園長よりなぜ発達の先生に診てもらう必要性があるのかについての説明があった。
下記、園長から言われた事をまとめてみた。
↓↓
園長が子供達と一緒にご飯を食べている時、
娘が園長に、
「わたしは、緊張して、あまり話せなくなる時あるんだよね」
と自分の事を話せた事。
今日も、風邪気味でプールをお休みしていた時、同じクラスの同じくプールを入れなかった男の子と仲良くお話していた事。
だが、やはり、先生の指示を聞いて自らスタートがきれない。
これは、言われている事を理解ができていないのかを知りたい。
原因を知り、対応を知りたいとの事。
「近くの小学校に行くのであれば、私達も連携しながら子供の引き継ぎを丁寧に行うことができる。ただ、引っ越しとなると、1度発達の先生に診てもらって、その助言も踏まえた上で、小学校の先生に伝えて行くと分かりやすいと思う。」
「この子にはこういうところがある、そういった内容を先に小学校の教師が知っておけば、
対応が違ってくると思う。」
「今の担任も含めた保育園の対応が合っているのか、または、もしかして違った方法があるのであれば、その案を知りたい。」
「発達の先生には1日だけ様子を診て頂き、
それから発達の診断テストをし、本人の得意なところ、苦手なところを知る。」
「不得意な所を伸ばすのは誰でも大人でも難しい。でも、少し方法を変えて、対応を変えれば引き伸ばせる個性もある。私達は、子供のプロである事に間違いはない。でも、発達の先生ならではの見解もある。そこで引き伸ばせる不得意部分もある。」
「娘にとって何がいいのかを知りたい。」
「もちろん、専門の先生に診てもらわないという選択肢もある。」
★★★
率直に、何の間違いもない真っ当な意見だと思った。
きちんと子供を見てくださっている。
日々、小さい子供達の命を守る事は、並大抵の事ではない。
そして、保育園の園長という立場を想像する。
このご時世、毎日どの位の責任と重圧があるのだろう。
それは、私なんかの想像をはるかに超えたところにある。
本当に頭が下がる。
その先生達が発達の先生を勧めているのだから、娘には、他の子と違う部分が確かにあるのかもしれない。
そして、渡した手紙の中で、
「先生達が扱いに困るからといって」
「プロフェッショナルなら」
という、私も引っかかるだろうなとは思っていた夫の文の一部があったのでそれを訂正したかったんだと思う。
だから、もし再度断るのなら、
「園側の話を聞き、私たちにも誤解があったこと、それは、園長からのお話を聞いて、十分その部分は理解できました。ただ、私たちの方針として、、」
という下りがもう一度必要なんだろうなと思いながら聞いていた。
でないと、園側も、手紙通りの内容を受け取った事になると懸念があったのではないだろうか。
そのやり方は、お役所的だと思う。
というか、娘の通う保育園は、公立で、職員は全員が公務員だから、当たり前だ。
どうなのだろうか。
私は考えすぎなのだろうか。
娘は、3歳で入園した。
最初は泣きじゃくった。
しかし、今、年長。
すっかり友達もでき、楽しく友達と一緒に帰っている。
発表会も、無難に大勢の中、こなせている。
友達とのトラブルも過去、一度たりとも無い。
むしろ、去年の担任からは、本当に真面目で天使で、毎朝、取り合いになる人気者です。と言われていた。
ここまでの成長じゃ駄目なんだろうか。
たまたま、ハズレの担任になってしまい、話がこじれている気もする。
でも、こんな事をしていたら、ろくな事はないから、先生達の言う通りに動くべきなんだろうか。
何もマイナスにはならないのだろうか。
自信がなくなる。
ただ、
園長の話を聞いても、私は心が動かなかった。
とても、正しいけれど、それは嫌だと思った。
園長は、今年から園に来た、おそらく60か
それより少し前位の女性だ。
誤解を恐れずに言うと、
この位の世代の人達は、
話し方が独りよがりすぎる人があまりにも
多すぎる。
私は上記の内容よりも、何よりも、
まず、園長先生の話し方に驚いてしまった。
全くもって意見なんか言える余白なんてなかった事。
ああ。伝え方として、手紙は大正解だったな。と感じた。
手紙じゃないと、園長との実際の会話においては、こちらに30秒も与えられないし、踏み込めなかった。
すごい勢いで、こちらに、ガガガガーと
話す。
あぁ、またこれだ。
私は、心の中でつぶやく。
私はよくこういうシチュエーションになる。
わたしという人間には言いやすいのかもしれない。
一方的に真っ当な意見を言ってくる人、
自分の悩みを永遠と話してくる人。
いつも思う。あぁ、この人は、
「聞かせる」が目的だな。
「聞き出す」「理解しようとする。」は
目的じゃないんだな。
今回は、もっと人間同士の話をしたかったな。
だって、正解のない人間についての話だから。
だから、ツイッターとかのが好きだ。
よって今日、驚くくらいに、こちらが話す余白はなかった。
30分のうち、確か私が言った言葉は、
「きっと、娘は、小学校に入るときも馴染むまで、少し大変かもしれません。覚悟はあります。だけど、それで良いと思いました。集団生活に馴染めなくてもいいと思いました。
これが娘だと思いました。」
※てか、今、めっちゃ集団生活に馴染んでいるが、、
と
「はい。」
だけだった。
どちらも、すぐに、わかります。という名目の元、違う意見で瞬時に流された。
だから、私はこういう相手と話す時は、
耳をすませてとにかく相手の話を聞く。
まるで教科書を読むかのようにただ淡々と聞く。
頭の中で相手のマシンガントークの要点を整理し、忘れないうちにこうして文におこすようにする。
なぜか。
その場では全く自分の心に響かず、瞬時に心で理解できないため、少し時間を置いてから事実をまとめ、私自身の心を整理する作業が必要になるからだ。
心での会話ができないとき。
うんうん、こんな感じだよね。大丈夫だよね。
が全くもって使えない時。
この作業に入る。外的な要点を理解する。
さて。どうしようか。
思った以上に長引くなあ。
なんか、もう本当に疲れたなぁ。
★★★
今日は、近くの公園に行った。森の中は案外涼しくて気持ち良かった。たくさんセミの抜け殻があった。