鎌倉移住。

夫と6歳の娘の3人暮らし。日々を書き綴っています。

発達の先生に見てもらうのをやめる選択。

確かあれは、5月下旬の話だった。

 

保育園の担任から、一度、娘を発達の先生に診てもらうのはどうかという提案があった件。

発達の先生を園に呼んで、娘の様子を見てもらいましょうと言われた事。

 

たいそう悩んだ私だが、振り切った件。

 

その時のブログ

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そういえば、発達の先生がいつ来るかは、たまに気になっていたけれど、今はもう7月も半ばになる。

それまで、担任は、一切この件について何も触れてこなくて、娘の日々の様子の話も1つもなくて、なんか変なの〜年長の扱いってこんなもの??いやいや、違うよな。と感じていた。

 

発達の件は、このまんま流れれば御の字だと感じていた。

 

 

だが、その間に、何だか私ったら担任と良好な関係になれてきたとは思っていて。

 

 

太鼓の会のあと、すぐに私は担任の所に行き、

 

「無事にできたのは、先生のお陰です〜

ありがとうございます。本当に助かっています〜」

 

という名演技を終えた。

(全米が涙した。)

 

 

担任への毎日の笑顔の挨拶効果もあり、担任も私に対して笑顔が増えたような気はする。

(気はする。。。)

 

 

 

こんな日々だったのだが、

一昨日になって、担任から突然、主語もなく、

 

 

「8月のこの日、空いてますか?」

 

 

と切り出された。

 

 

てっきり私は、夏休みの間のうさぎ当番の話かと思って、

 

 

空いてまーす!餌やりに行けまーす!

と先に張り切って言ってしまった。

 

 

その後、すぐに、発達の先生に園にきてもらう日程ですと言われて、

はっとする。

 

 

しかも、8月って。

 

 

発達の先生に来てもらうのって、

めっちゃ時間かかるんだな。

 

 

5月から話はあったのに。

 

 

発達の先生、大人気かよ!?

 

 

懇談会から3ヶ月もたてば、

5歳の女の子の様子なんか、全然違ってくる。

 

 

大人の緩い、ゆ〜るい3ヶ月とは訳が違う。

 

 

彼女らの毎日は、爆発する位の成長ホルモンの毎日。

 

 

毎日、可能性を爆発させながら未来に向かって歩いている。

 

 

いや。

 

 

走っている事のが多い。

 

 

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大人みたいにただ、傘を普通に開くだけなんて

ナンセンス。あたし達は、傘はちょこっと開いて三角にして歩く主義。

 

 

 

懇談会当時、担任から指摘された症状もかなり

収まったし、太鼓も立派にやりとげた。

 

 

やっぱり、変化していく。

確実に。

急ぐな。時を待て。

 

 

 

だから、いま、私は一つ、大きなかけに出ようとしている。

 

 

それは、

 

 

やっぱり、発達の先生に来てもらう事を

断る事。

 

 

いや〜ん。

あの担任にだけは、言いづらい〜。

刺されてまう〜。

実はあんま働いてないし、追放されちゃう〜

 

 

 

一回は、発達の先生に診てもらうことを、

はい、お願いしますと言ったものの、

はっと気がついた。

 

 

例えば、発達障害だと診断されて、

何かしらの治療を行う事を勧められたとしたら。

 

 

私は、その治療をする事はないだろう。

 

なぜなら、娘レベルの内容は、

ただの性格だと思うから。  

 

なぜなら、誰にも危害を加えていないから。

 

なぜなら、社会に適応しろなんていう言葉を鵜呑みにしたくないから。

今いる社会に適応しなくても別の社会に行けばいいんだから。

 

オタクはブランドになった。

銀行が、入社したくない場所になった。

 

この位、社会はころっと変わるから。

 

だからお願い、自分を殺さないでって思うから。

 

 

自分の身体に合わない箱に無理やり詰め込まれて生きているから障害になる。

こんな環境でなければ、ただの個性。

 

 

それだけだから。

 

 

そして、例えば、発達の先生に、

大丈夫ですよと言われて安心出来る事。

 

 

おそらく、私は可能性的にもこれを1番期待していたと思う。

 

 

「大丈夫だと思います。様子を見ましょう」

 

 

という専門家からの言葉で、私は安心する。

はぁ〜やっぱり、ほら。大丈夫だった。

 

 

 

って。

これ、いる???

 

 

 

いらないわ、このやり取り。

 

 

 

と気がついたのだ。

 

 

 

どうして、専門家の太鼓判をもらいたがる?

どうして、自分と娘の事なのに、自分と娘を疑う必要があるのか。

 

 

例えば、子供に愛と勇気をくれる亀仙人に会いにいきませんか?

娘さんなら、この亀仙人に会うことにより、

また一つパワーアップできる可能性があります!!

 

みたいな前向きで、ちょっとおもろい、

なに、その亀仙人。ちょっと会いたいみたいな話だったら楽しいじゃん??

 

 

なんかもうさ、

 

 

園のやつはさー

 

 

アウシュビッツに向かう気分よ〜

 

 

病と権威の香りしかしないよー。

 

 

 

広い視点から、物事を捉えたかったからという思いもあったけれど、

 

 

例えば、私独りよがりの考えを避けるためのとかね。

 

 

誰かに意見を求めるのって本来は、楽しさに対してだよね。

自分がいいなと思える世界に対してだよね。

 

 

もっと学びたい。

もっと遊びたい。

もっと極めたい。

 

そんな時に、自分以上の人に、自分の可能性を引き出してくれるような人に会いにいきたくなるよね。

 

 

不安や恐怖を他人の意見に委ねてどないするっつーねん。

 

 

だから、今回の件。

 

 

たぶん、

自由で、優しくて、強くて。

 

そんな未来を邪魔される予感がした。

 

 

 

これは予感。

ただ単に不安を積まれる予感。

 

 

 

だから、

今回は、発達の先生に来てもらうのは断ります。

 

亀仙人だったら考えてもいいけど。

 

全てに付き合う事はない。

切った分だけ、何かを得られる。

 

 

権威に媚びるな。

だけど、ユーモアをもって賢くやれよ。

笑えるようにやれよ。

 

 

 

互いに正しさを押し付けるのなら、どちらもいらないよ。どちらも正しいからね。

 

 

 

私自身の断捨離でございます。

 

 

さーて。

 

 

なんて言おうかな。